ほんとの空を見てきた - 福島県二本松市(2/59)
二本松市ってこんなとこ
二本松市は福島県有数の城下町です。 中通と呼ばれる福島県中央部に位置します。 名山、温泉、歴史、文学の分野で突出した知名度があり、観光資源に恵まれています。
二本松市の名所名物
名所 :安達太良山、二本松城、岳温泉、東北サファリパーク
名物 :菊人形
名産 :日本酒、二本松家具
グルメ:玉羊羹、ざくざく
二本松市の思い出
Note1. 安達太良山
日本百名山に選ばれている安達太良山は、火山特有の秀麗な山容ながら、ロープウェイ駅から山頂まで1時間半〜2時間程度で気軽に登れる山です。
旅行ついでの登山にはぴったり。
序盤は木道で歩きやすい
次第に段差が大きくなる
登山道を見上げた時の空がね、本当に綺麗なんですよ。
山頂はこの岩の上。
このポコっとした山容から、安達太良山は乳首山とも呼ばれています。
下の写真は二本松城の展望台から撮影した安達太良山ですが、思ったよりも乳首でした。
閑話休題。
最後の岩を登って、
祝登頂
見よ、この雄大な風景を。
頑張ったかいがあった!
落ちて死ぬような危険箇所はありませんが、岩と石が多く、それなりに歩きにくい道です。 また気軽に登れる山とはいえど、安達太良山は活火山。お出かけの際は、装備や火山活動状況に気をつかってくださいね。
Note2. ほんとの空
安達太良山のロープウェイ駅の近くに薬師岳という山があります。 薬師岳のすぐそばに この上の空がほんとの空です という標柱が立っていました。
詩人・高村光太郎の詩の一節が、元になっているのでしょう。
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空がみたいといふ。
- 中略 -
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
智恵子抄より
福島出身の妻への愛情が感じられるよい詩ですね。
高村光太郎、智恵子夫妻のなごりは、二本松城跡でも見られました。
あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川。
詩の一節が刻まれた石碑です。
あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫
智恵子抄より
後述しますが、二本松城跡は高台にあり、市内や安達太良山が一望できます。 阿武隈川はよく分からなかったですが、もしかしたら川面に反射した光が煌めいて見えることがあるのかもしれない。
たった四行で妻への愛と二本松の情景が伝わってきます。 詩や言葉の持つ力は、とても凄いと思いました。
Note3. 二本松城跡は山だった
二本松城跡は日本百名城に選ばれています。 一つの市に日本百名山と日本百名城があるのって、なかなか珍しいですよね。
今回の旅は安達太良山が主目的だったため、二本松城跡には下調べなしで行きました。 ホテルのチェックアウトの時間まで時間があるかは、散歩がてら観光しようと思ったのです。
それがいけなかった。
GoogleMapで見ると二本松城跡は大きめの公園になっている。 本丸跡だけ見て帰ろうと思い出発しました。 この時の私のイメージは、我がホーム、松本城のように真っ平で見通しの良い場所です。
ところが、二本松城に行ってみると、坂と木に遮られて本丸跡がどこにあるかも分からない。 完全に迷子。
じっくり観たい史跡たちに後ろ髪を引かれながら、後ろの時間を気にし足早に立ち去ります。
やっと本丸跡が見えてきました。
城の復元はさらておらず、天守台の石積みのみです。
天守台の写真。
慌てたあまり指を入れてしまう大失態。
公園入り口から100m以上登るだけに、街を見下ろせる好展望でした。
ノート4. 二本松少年隊
二本松駅で撮影した少年像の写真。
戊辰戦争(徳川慶喜を要する幕府軍と薩長中心の新政府軍の戦い)の悲劇として、少年たちが若い命を散らした会津白虎隊が有名です。
彼らと同じように戦いに殉じた少年たちが、ここ二本松にもいました。
兵力不足に陥った二本松藩は、志願した12歳から17歳の少年たちを出陣させます。 少年部隊だった白虎隊とは違い、各部隊への配属という形だったようです。
二本松城跡にある少年隊像は、激戦地・大壇口戦場に出陣した少年たちの像です。
まっすぐ前だけを見ている姿が印象的。
そういう時代なんでしょうけど、少年隊以外もみんな若いです。 彼らが所属した部隊の隊長は22才です。 彼もまたこの戦いで命を落とします。 隊長を失い退却する少年隊を援護するため敵軍に突っ込んでいった兵士は、21才と26才。
今ならまだ学生でもおかしくない年齢。悲しくなりますね。
ところで、2枚目の写真の中央右に女性の像があるのが分かりますか? 撮影時には気が付かず、この像の写真はこの写り込んだ一枚しかありません。
あとで調べて分かったのですが、この像の正体は少年隊の出陣服を繕う母でした。
栄養状態が今より悪い時代ですから、少年隊も今よりもっと子供子供していたかもしれません。 送りだす母はどれほど辛く、心配だったでしょうか。
子供たちの健気さや母の想いに涙が誘われますが、けっして美談にしてはいけませんね。自戒。
二本松市は、山好き歴史好きの私にはとっても刺さりました。 今回は、時間不足・情報不足・根性不足で色々心残りができてしまったので、また近いうちに再訪したいと思います。